〈秋に隠れて〉は、島崎藤村(明治5[1872]年2月17日 〜昭和18[1943]年8月22日)の処女詩集『若菜集』(明治30(1897))51篇のなかに〈初恋〉などとともに収められている。
わが手に植ゑし白菊の/おのづからなる時くれば/一もと花の夕暮(ゆふぐれ)に/秋に隠れて窓にさくなり
わずかな言葉に、白菊、それを慈しむ自分、自然界の営み、生命力、秋、夕暮れ、時充ちて咲く花、窓辺の情景・・等、雄大にして細やかな場景が立ち現れる。藤村が「秋に隠れて」において描く自然界は、作者の心と重ね合わせ、主観的な感懐を描くカンバスとなっている。草川は、歌とピアノが一体感を持って協奏し、秋の情景と心情を重ねた世界への構成を試みる。ピアノが独奏する小節数は、歌唱部分より僅かに少ない程度であり、ピアノの役割は重要である。ピアノは情景描写、場面展開、心理描写など主導し、歌い手は言葉を声にすることで表現をより視覚化、具体化し、想いを吹き込む。歌とピアノによって構成される新たな音楽世界への挑戦の跡が見える。
曲は昭和19年の初め頃には書き上げていたようで、草川の1月10日の日記には、新井氏*から次のような批評を貰ったことが書き留められている。「相当に感覚は鋭い。其の鋭さが滑稽度を超してゐる故自然さを失つてゐるきらひがある。転調にしても其れ故わざとらしさがある程だ。だが以前の作品から比べると兎も角可成りの進歩を見せてゐる」。
新井氏の批評は、まず詩に対する草川の感度の鋭さを評価し、挑戦する心意気も感じ取っている。そのうえで、妥協なき鋭さゆえに歌い手に過度の負担を強いる傾向や、技巧を優先したためぎこちなさがあると指摘した点で、辛口だが正鵠を得ていると言えよう。しかしまたそうしたところにこそ若い作曲家らしい志の高さ、表現の独自性や面白さを見ることもできよう。日記に記されるように、草川家の衣食住にも戦時の影響が色濃くなっていたが、草川は研究科に在籍し、信時潔に歌曲の指導を仰ぎ、ヘルムート・フェルマーに二重フーガの厳しいレッスンを受けて作曲技術の習得に努め、一作ごとに新たな挑戦を続けていたのである。
* 新井氏は、声楽部の同級生・新井潔氏であろうか(朴殷用。昭和17年6月に新井潔に改姓)
草川の日記によれば、彼はこの頃教員検定願を書いて就職に備えていたようである。昭和19年1月9日の日記の半分は寒さについてである。「夜ピアノを少し勉強したが、炭火の全く無い此の頃は寒さが身にじんじんとしみ入るので叶はぬ。其の辛さと云つたら到底筆舌等に尽せ得るものでは無いのである。一旦コタツに潜り込んだが最后、もう離れられぬ。コタツから脱け出るのには思い切って勇気を振ひ出さねばならぬ」
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