東京藝術大学の美術解剖学研究室が所蔵する55点の解剖図は明治期から昭和頃、同大学の美術解剖学講義の中で使われた掛図である。掛図とは主として教材用に地図や標本の絵や図を表装したもので、解剖学を教えるにはとても有用なものであった。これらの掛図が使用されていた美術解剖学の講義の歴史は東京美術学校時代まで遡ることができる。
人体の解剖学を主とした最初の講師は森鴎外(1862-1922)であった。明治22年(1889)から専修科の講師として美術学校で教鞭をとった鷗外は、明治24年(1891)に美術解剖学の講義を受け持ち、明治27年(1894)にその任を後藤貞行(1850-1903)に譲るまで務めていた。
鷗外はスイス人の医学者であるユリウス・コールマン(Julius Konstantin Ernst Kollmann,1834-1918)の『Plastische Anatomie』を参照し講義していたとされるが、掛図のうち45枚に描かれている人体はフランスの彫刻家、美術解剖学者、ポール・リッシェ(Paul Richer,1849-1933) による『美術家のための解剖図』を原典としているため、相違がある。フランスの解剖学を美術学校に持ち込んだのは後藤の後任の西洋画家、久米桂一郎(1866-1934)である。
久米は明治29年(1932)に西洋画科が新設された時期に、美術解剖学講義を受け持ち、36年間教壇に立っていた。久米桂一郎は黒田清輝と共にフランスに留学しパリのエコールデ・ボ・ザールで解剖学を学んでおり、その時にリッシェの解剖図を日本に持ち帰ってきたのだろう。リッシェはボザールの教員でありながら医科大学にも所属していた。彼の著作における挿絵は医学的に正確なだけでなく、的確に形が表現されていたことから、美術大学で使用する教科書としては最適なものの一つであるといえるだろう。
これらの掛図は明治36年(1903)から大正5年頃(1916)に久米が助手や学生に描かせたもの1であるとされる。 半世紀以上経てなお、多少の退色はあるが当時の色彩を残し、さらには説明の時につけたであろうチョークでの描線も残っている。
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1『美の内景カタログ』1998 久米美術館
東京藝術大学 美術解剖学研究室 小山晋平
東京藝術大学 美術解剖学研究室 解剖図ギャラリー
Tokyo University of the Arts – Anatomy Image Gallery
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