作詞者 | 不明 | ||||||||
作曲者 | 高田 信一(1920.1.24-1960.1.16) | ||||||||
依頼者 | 西第九八二五部隊 | ||||||||
依頼年月日 | 1942/7/5 (昭和17年7月5日) | ||||||||
典拠資料 | 『昭和十七年六月 昭和十八年九月 作曲依頼関係書綴』、楽譜は『昭和十九年以降作曲綴込』 | ||||||||
楽曲解説 |
昭和17(1942)年7月、石川吉郎(陸軍予備役将校か?)を通じて陸軍西第九八二五部隊より依頼。依頼状、石川の名刺、歌詞、楽譜、楽譜送付状などが 残されている。「西第九八二五部隊」は、昭和16(1941)年6月に編成された独立混成第21旅団の基幹部隊「陸軍歩兵第170連隊」を表す通称号。同 年7月、南部仏印進駐に参加した。この部隊の主力は、部隊歌作曲依頼2ヶ月後の昭和17(1942)年9月にグアムへ、さらにパラオ経由でラバウルへと派 遣されるが、その途上、11月に乗船していた輸送船がパラオ港外で撃沈されて軍旗を喪失したため、昭和18(1943)年6月、現地で懲罰解隊処分となっ た。作曲者は当時東京音楽学校教務嘱託補助。 |
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復元演奏録音日 |
2012年2月23日 東京藝術大学音楽学部千住キャンパス スタジオA |
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復元演奏協力 |
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一 | 風雲はらむ 佛印に 新生の意気 空高く 仰ぐ隊長 核心に 死生結ぶ つわものは 九州男児に 三河武士 我等は佛印工兵隊 | 四 | 勇躍すすむ 馬来戦 鉄火とび散る 濁流に 敢然かける 橋の数 弾丸のしぶきを 身に浴びて 機舟浮べて 肉迫す 我等は佛印工兵隊 |
二 | 炎熱ものか 厳然と 蟻もとおさぬ 援蒋路 山なす物資 ことごとく 瀧なす汗に 此の技術に 敵の宝庫の 影もなし 我等は佛印工兵隊 | 五 | 熱風すさぶ ビルマ戦 砂塵は狂い のどはやく 追撃隊に 尖兵に 地雷も戦車も 密林も 挺身ひらく 進撃路 我等は佛印工兵隊 |
三 | 南方基地の 生命線 朝に守り 夕に練る 此の秋此の日 此の未明 英米撃滅の 御詔勅 正義の十字鍬 今ふるえ 我等は佛印工兵隊 | 六 | ああ鉄石の 此の決意 世紀の空に燦然と 日の丸高く 仰ぐまで 築くアジアの 捨石に なるぞ栄ある 此の朝 我等は佛印工兵隊 |