『在外研究員関係書類 明治33年〜昭和9年』
資料の概要
本資料は、明治33(1900)年より昭和9(1934)年までの期間、東京音楽学校より文部省外国留学生、文部省在外研究員として派遣された教員35名に関する文書を一冊に綴じたものである。内容は履歴書、文部省への申請書、文部省からの承諾書、出発届、帰朝届、給付金増額申請や、在留国追加依頼、音楽学校校長への手紙、留学報告書等、多岐にわたる。
在外研究員制度について
日本の海外留学制度の一つで、明治時代の近代国家樹立と西洋文化導入を目的に行われた。
明治3(1871)年に「海外留学生規則」を定めて留学生派遣が制度化されたのを皮切りに、明治8(1875)年に「文部省貸費留学生」という制度の下、改めて留学生の派遣を開始した。以後、文部省による留学生の派遣は明治15(1882)年に 「文部省海外留学生」 、明治25(1892)年に「文部省外国留学生」 、大正9(1920)年に「文部省在外研究員」と法令と呼称を変更しながらも、昭和15(1940)年に戦争で中断されるまでの65年、 僅か2年間 (1878年と1879年)の中断以外は毎年実施され続けた。「その数は総勢のべ3209人を数える。」[1]。
本資料は留学生派遣数が最も多かった時代のもので、日本の近代音楽の礎となった人物が多く見受けられる。
デジタル化の作業報告
- 原資料の状態本資料は、明治33(1900)年より昭和9(1934)年までの期間、東京音楽学校より文部省外国留学生、文部省在外研究員として派遣された36名に関する書類を一冊に綴じたものである。内容としては履歴書、文部省への申請書、文部省からの承諾書、出発届、帰朝届、給付金増額申請や、在留国追加依頼、音楽学校校長への手紙、留学報告書等、様々である。30年以上の期間にわたる資料であるため、大きさや様式、紙の材質にも様々な種類があり、それぞれの劣化、破損状況も異なる。明治から大正中期までは紙縒りで纏められているが、大正後期から昭和の資料はホチキスにより纏められているものが多い。この資料として纏められる以前にも別形式でまとめられていた形跡があり、あちこちに紐を通すための穴が開いている。 ・スキャニングにあたり資料の多様に従い、折れや破れ、欠損部などが様々な形で見られ準備作業として、資料一枚ずつの状態に合わせてフラットニングを行った。紙縒りなど、ほどいて元に戻せる状態の束に関しては一枚ずつスキャニングを行った。ホチキスや紙縒り自体の劣化が激しい場合は、束のままのスキャニングとした。また、裏面に書き込み等があるものは裏面のスキャニングを行った。
作業者:澤原行正(音楽学部教育研究助手)[デジタル化の作業報告の部分を執筆]
作業期間:平成28(2016)年10月〜平成29年(2017)5月
使用機材:KONICAMINOLTA PS5000C MKII
スキャン設定:24bit 600dpi 大きさは原稿の大きさに合わせて変更
[1]辻直人 「二十世紀初頭における文部省留学生の派遣実態とその変化についての一考察」(「東京大学文書館紀要(旧東京大学史紀要)」第26号 (2008.3) p.21より引用)。
在外研究員関係書類 画像
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